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歌とは、歴史とは・・・何ぞや

 映画「メリーポピンズ」 四十歳になって、自分の人生の過去と未来について考えるようになった。
今日は、十二年に一度巡ってくる巳年をふり返ってみよう。昭和四十年(一九六五)、五歳になった私は、ジュリー・アンドリュース主演の映画「メリーポピンズ」に感動。主人公になりきったつもりで、傘をさして家の二階から飛び降り、足首を骨折。映画では、傘が落下傘のようになって、主人公はうまく着地できたのだが。今でも、冬の日に足が痛むのは、そのせいである。この映画の主題歌を聞くと、あの日のことが、思い出される。ここから、学んだ教訓。映画と現実は違うということ。

 勝手にしやがれ 昭和五十二年(一九七七)、十七歳になった私は、一つの志を立てる。それは、歴史学者になるということ。高校の日本史の先生の授業に感動したのである。が、しかし、そこは私・・・安易に妥協してしまう。浪人中に、予備校の先生が、国語の先生の方が就職が楽だといわれ、安易に変説。『万葉集』の研究に鞍替えする。筆者の研究を振り返ると、歌そのものよりも、歌の背景や万葉びとの生活に関心があるのは、そのためであろう。両親は本当に飯が喰えるようになるか、心配していたと思う。この年に流行った曲は、沢田研二「勝手にしやがれ」だった。ここから、学んだ教訓、勝手に変説するもまたよし。

 川の流れのように 平成元年(一九八七)、二十七歳になっていた私は、生意気な大学院生だった。が、しかし、そこは私・・・その二年前には大学院の後期課程の受験に失敗して、研究面でも大いに遅れをとっていたと思う。さらには、前年に親父が病死し、自堕落な生活をしていた。恩師は、そんな私をやさくしく諭してくれた。この年に流行った曲は、美空ひばりの「川の流れのように」だった。ここから、学んだ教訓、「川の流れのように」に逆らわず・・・。

 記憶の引き出し さて、歌とは何か。それは、記憶の引き出しの把手のようなのものではなかろうか。「メリーポピンズ」の主題歌、「勝手にしやがれ」「川の流れのように」を聞くと、不思議にあの頃のことが思い出されるのである。この場合の記憶とは、個人の記憶であるが、記憶には集団のなかに記憶されているものがある。校歌がそのよい例である。対して、その時代を生きた多くの人間の心に留められている記憶というものもあるだろう。並木路子「りんごの歌」や菊池章子「星のながれに」は、戦争の終わりというものを、多くの人びとに実感させた歌である。 明日香風 約百年間も天皇(大王)の宮があった明日香から藤原に、宮が遷ってしまった。その埋めがたい心の虚しさが歌った歌が、

  明日香宮より藤原宮に遷居(うつ)りし後、志貴皇子の作りませる歌
  采女の袖吹きかへす明日香風 都を遠み  いたづらに吹く

である。この歌が『万葉集』に留められたのは、この歌であの明日香の日々をふり返るためではなかったのか、私はそう思っている。実は『万葉集』においては、「ふるさと」といえば明日香を指すという原則があるのである(上野誠『万葉びとの生活空間−歌・庭園・くらし−』塙書房)。

 万葉びとは、自らの生活の歴史をこの歌でふり返ったのではないか、と思う。昨日のことのように。今の私のように。
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