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多武の山霧しげみかも

一見ぶっきらぼうだが・・・、大和弁に巧まざるユーモアのある座談の名手に大浦茂雄さんがいる。談山神社の総代でもある大浦さんから、こんな話を聞いた。

  多武峯は霧が多くて、湿度が高い。だから、布団干しが嫁の大切な仕事です。クンナカから来た嫁は、はじめはびっくりしよりますわ。
筆者は「なるほど!」と唸ってしまった。というのは、この言葉に万葉の風土を読み解く鍵があると思ったからである。クンナカ(国中)とは、いわゆる奈良盆地の平地部で、クンナカの人びとは、いつも多武峯を望んで暮らしているのである。『万葉集』の巻九に、次のような歌が伝わる。

   舎人皇子に献つる歌二首
   ふさ手折り多武の山霧しげみかも 細川の瀬に波の騒ける (巻九の一七〇四)[第二首目省略]

作者は、多武峯を水源とする細川の下流にいて、川波の瀬音が高くなっているのに、ふと気づいたのであろう。そこから、「多武峯の山霧は深いのだろうか・・・」と、細川の上流に思いをはせているのである。細川の瀬音の高まりに、上流の天候を慮る歌である。今日の河川は、ダムや堰で水量調節がなされているので、この歌の発想を現代人が理解するのはむずかしい。けれど、雨で増水が続くと、向こう岸に渡れなくなるような生活をしていた万葉びとは、常に瀬音で水かさを慮り、上流の天候をかんがみる人びとであった。そう思うと、当該歌が実に生活感溢れる歌に見えてきた。
  この一七〇四番歌に呼応して、舎人皇子が答えた、と思われる歌がある。

   舎人皇子の御歌一首
   ぬばたまの夜霧は立ちぬ 衣手の高屋の上に 棚びくまでに(巻九の一七〇六)

「高屋」は地名と解釈して、桜井市谷の高屋安倍神社付近とする説もあるのだが、高い建物と解して、舎人皇子の邸宅を指すと見ることもできよう。とすれば、細川の上流の皇子の邸宅があったことになる。献歌が「多武峯の山霧は深いのだろうか」と言っているのに対して、その答えは「夜霧は、高い建物のさらに上に棚びくほどだ」といっている。細川の上流たる高所の、さらに高い建物の、その上に棚びくという、諧謔表現の妙をここに読み取るべきであろう。

  献歌をした人は、細川の下流にいて、舎人皇子は、上流にいるのである。このふたつの歌は、そういった上流と下流の落差を前提として発想されているのである。とすれば、「(大切な)貴方のいる細川の上流のことをいつも思っていますよ・・・」という寓意を献歌に読み取ることも可能であろう。さらに、ふたりが、細川の上流の多武峯は霧が深いということを、「常識」として共有していたことは、いうまでもなかろう。

  さて、これからは、仮説に仮説を立てる想像でしかないのだが、献歌を女歌とすると、こんな思いつきが、浮かぶ。つまり、献歌は女の恋の胸騒ぎを吐露する歌であり、「貴男のほうはどう思っているのかしら・・・」という問の歌となろう。これに対して、舎人皇子は「棚びく霧」で、「自分も熱い思いをもっているよ」と答えた歌となるのではないか?。ただ、この説には大きな難点がある。なぜなら、当該歌は「雑歌」部に分類されていて、恋歌を中心に収める「相聞」部には分類されてはいないからである。

  ここまで、書いたところで、霧が立ち籠めて「はた」と道に行きづまってしまった。おそらく、この袋小路を脱する鍵は、献歌の第二首目の「片待つわれぞ」(巻九の一七〇五)にありそうなのだが・・・、続考は多武峯の夜霧のなかにあるとでも言って、逃げておこう。
  そんな思いを秘めて、多武峯の夜霧にたたずんでみたいものだ。

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